聖書と宗教2―不可視なものへの信による突破
日曜聖書講義 2021年4月11日
第一回の要旨 人類の歴史のなかで古典として最も読み続けられた聖書に親しむことにより人間であることを共に探求したい。宗教は人間がどこからきてどこに行くのかという不可視なものをめぐり生起した。不可視なものを真理であると判断するのは信仰である。そこで大事なことは理性に反した狂信に陥らないこと、また恐怖など感情(身体的な受動的反応・パトス)に引きずられて迷信に陥らないことである。理性の足らなさ、情緒のバランスのとれなさなど人の弱みに付け込んで洗脳と言う仕方での信仰の強要は最も唾棄すべきことがらとして拒否される。心魂の探求を通じて、心魂の内側からの納得が不可欠となる。
聖書と宗教2―不可視なものへの信による突破―
ヘブライ人への手紙11章
「信仰は望んでいることがらの確証であり、見られていないものごとの[不可視に留まることへの]反駁である。というのも信仰によって古への先人たちは[見える]証し人とさせられたからである。われらは、神の語りかけにより諸時代が[以下の先人たちのように]統一させられていることを、信仰により観て取っており(pistei noūmen)、見られるものが現れないものども[神の語りかけ]に基づくことを知るに至る。信仰によってアベルはカインに比し一層多くの捧げものをしたが、神ご自身がその贈りものを認証することによって、その信仰を介して正しい者であることが証しされ、アベルはその信仰を介して死んだが、彼は今なお語っている。・・信仰によってノアはまだ見ていないものごとについて、神に警告されたとき、心に留めそして彼の家族を救うべく箱舟を建造したが、その信仰を介して彼は世界を審判した、そしてその信仰に即した義を介して受け継ぐ者となった。信仰によって、アブラハムは呼び出されると彼が受け継ぐことになる場所に出ていくべく従ったが、彼はどこに行くか知ることなしに出立した。信仰によって彼は、同じ契約の受け継ぎ手であるイサクとヤコブと共にあたかも他国に宿るようにテントで生活し、約束の地に滞在した。というのも彼は神がその設計者であり建設者でありたまう基礎を持つ都を待ち望んだからである。・・信仰によってヤコブは死に臨んで、ヨセフの息子たちの各人を祝福し、杖の頭越しに神に礼拝した。信仰によって、ヨセフは自らの人生の終わりに、イスラエルの子らの脱出について語り、自らの埋葬について指示を与えた。・・信仰によって、モーセは成人したとき、ファラオの王女の子と呼ばれることを拒み、はかない罪の楽しみにふけるよりは、神の民と共に虐待されることを選び、キリストのために受ける嘲りをエジプトの財宝よりまさる富と考えた。[正当な]報いに目を向けていたからである。信仰によって、モーセは王の怒りを恐れず、エジプトを去った、というのも見えない方を見ている者として忍耐したからである」(Heb.11:1-27)。
1初めての聖書
神がどのような方であるかについて述べているのが聖書だと言うことができる。聖書は人間とは一体何者であるのかについて探求し、その理解を求める者にたいし、神という究極の存在者、全知にして全能であり宇宙を創造し導いている存在者に訴え応答している書物であると言うことができる。聖書は神に選ばれた一つの弱小民族イスラエルを導くその歴史を通じて神がどのような方であるかを伝えている。聖書はパレスチナ地方の人々の生活、歴史の記録であるが、神との関わりのなかでの記録である。
先週は宗教上の暦ではイースターと言って、キリストの復活を祝う日であった。人類にとって二度あってはならない、神の御子の「一度限り」の十字架と三日後の甦りの事件はその後の人類の歴史を大きく変え、方向付けを与えた。これは科学のように再現性のない出来事であるので、信仰により突破するしかないことがらである。この最も掌握しがたい尋常ならざる出来事についてはおいおいお話しするとして、これから三十数回にわたり日曜日ごとにThe Bookと定冠詞付きで呼ばれる聖書を学んでいきたいと思う。この書物は人類の歴史において最も多く読まれてきた書物であり、現在3000以上の言語に翻訳されていると言われる。
紀元前(BCE Before Common Era )9世紀ごろから紀元(CE)1世紀まで1000年かけてパレスチナを中心にする地中海東海岸地域(現在のイスラエル、ヨルダン、シリアやトルコ等)に住む多くの著者によりヘブライ語とギリシャ語で執筆された。旧約聖書は39書あり、モーセ五書、預言書、知恵の書と大きく分類されている。新約聖書は27書あり、福音書や手紙そして黙示録と呼ばれる終末についての預言からなっている。それぞれの構成文書は3x9=27と覚えるとわかりやすい。とはいえ正典(Canon)と呼ばれる、正統と異端を判別する規準となるものは、宗派により少しずつ異なっており、おおよその権威のよりどころとして理解していただきたい。旧約聖書39書はエステル記のようにギリシャ語で書かれたものもあるが、ヘブライ語で記されている。ただし、写本として残っている一番古いものはエジプトプトレマイオス朝時代に紀元前3世紀から1世紀までかけてアレクサンドリアでヘブライ語からギリシャ語に翻訳された70人訳(Septuaginta)と呼ばれるギリシャ語聖書である。ヘブライ語の写本でユダヤ教において「伝承」されてきた「マソラ」と呼ばれる一番古い文書は10世紀のレニングラード写本と言われる。しかしながら「死海文書」と呼ばれる1世紀のヘブライ語聖書が1947年にベドウィンの羊飼いに発見されており、10世紀の写本の信頼性が確認されていると言うことができる。旧約聖書は紀元70年ローマによるエルサレムの陥落後近郊のヤムニアでユダヤ教の正典として伝承する文書を確定するため開かれた会議(ヤムニア会議)以後連綿と伝承されてきた。それはユダヤ教、キリスト教そしてイスラム教に共有されている正典ないし啓示の書とされている。
なぜ聖書は人類の書物となったのであろうか。BCE1600年頃アブラハムが今のバクダッド付近のカルデヤのウルに住んでいたが、夜空の星のごとく海辺の砂の如くに栄えるという神の約束を信じて出立した。アブラハムとその子孫であるイスラエル(神の民)(時代が下って「ユダヤ人」と呼ばれる。ギリシャ語では「へブライ人」と呼ばれる)は他の強大な諸国に囲まれながら、民族としての一性を保ってきた。エジプト、ヒッタイト、アッシリヤ、バビロニアそしてペルシャさらにギリシャ、ローマなど諸時代の大国に翻弄されながらもヤハウェ神を信じる一神教としてのこの宗教はユダヤ教、キリスト教そしてイスラム教と少なくとも三つに分かれながらも今日たえることなく続いている。一神教であることは、万物の秩序を理解しやすい。そのためギリシャ哲学とキリスト教を受容した西欧諸国は科学など学問の進展を担うことができたと考えられる。
パウロはモーセにおいて神から十戒が与えられたときはアブラハムから430年経っていたと報告している。「神によって批准された契約を430年後に生じた律法が約束を反故にすべく無効にすることはない」(Gal.3:17)。旧約聖書の歴史の年代確定は困難な問いであるが、この期間を規準にして計測すると、最近の研究によればアブラハムは紀元前17世紀後半(1620年頃)そしても出エジプトのリーダーモーセは紀元前12世紀前半(1190年頃)が想定されている。聖書に登場するアブラハムからモーセにいたる人物の世代数(十世代)から言って、アブラハムがハムラビ法典が発布された1800年頃出立したという想定は理にあわないと言われている。ともあれ、イスラエルの歴史はこの二人を中心に展開されるが、アブラハムに対し神による民族への約束が与えられ、そしてモーセに対して神の意志としての律法が与えられている。パウロによれば、モーセ律法は責任ある行為主体が偶像崇拝の禁止や貪りの禁止などの戒めを遵守するか遵守しないかにより正義と看做されるか否かが審判されるのに対し、アブラハムへの約束は神が約束に対し信実であったとき、神の信実を信じるかそれとも裏切るかにより正義と看做されるか否かが審判されると展開しています。パウロは信仰による義のほうがモーセ律法を業や行為により満たす義よりも根源的であると議論を展開しています。アブラハムの信仰はモーセ律法の啓示により無効にされなかったからです。
ともあれ、イスラエルは紀元前1000年頃のダビデとソロモンの栄華の時期を除いて列強に囲まれ苦難の連続であり、紀元前6世紀には支配階級はバビロンの王ネブカドネザルによりエルサレムからバビロンに移送され、ペルシャ王キュロスにより解放されるまで捕囚を経験している。
2ヘブライズムとヘレニズム
続いてギリシャの支配を受けることになる。古典期アテネの隆盛はペルシャとの紀元前5世紀前半の戦い(ペルシャ戦争)それから5世紀後半のスパルタとの戦い(ペロポネソス戦争)を経験するなかで、民主主義が台頭した。ペリクレスはその象徴的な指導者です。民主政治においては弁論による説得が政策決定に不可欠となり、「弁論術」という説得の技術それから「弁証術」という議論の妥当性を吟味するべくプロ(賛成)とコントラ(反対)の見解を提示する言論の諸技術が躍進的に発展した。これらと数学や自然科学の発展のもと、アテネを中心に知的革命とでも言うべきひとを文字通り「知を愛する」「哲学(philosophia)」が一つの形をとるようになり、この地が地中海世界の文化の中心となった。前4世紀後半のアレクサンダーによる統一以後このギリシャ文化は「ヘレニズム時代」と呼ばれる。
B.W.Robinsonは『パウロの生涯』においてキリスト教の揺籃としてのギリシャの知的文化をこう述べている。「アレクサンダーは成功裏に東西文明を混淆させることにおけるパイオニアであった。もし彼によるギリシャ人とセム人の織り交ぜこみがなかったならば、パレスチナからのいかなる企てといえども第一世紀におけるキリスト教徒による伝道の成就と特徴づけられるそのような迅速性を伴って西方に伝播することは不可能であったことであろう」。B. W. Robinson, The Life of Paul, p.6 (The Univ. of Chicago Press Chicago 1918).
ミルトンは『楽園回復』のなかで知的な文化が一斉に開花したアテネを賛美している。「いま一度、西の方、いやそれよりも少し南西寄り、エーゲ海の岸辺に一つの都市がある所を御覧なさい。この町は、その建築は壮麗、空気は清らか、土は軽やか、他ならぬ、芸術と雄弁の母、ギリシャの目、アテネであり、その町中あるいは外れの心地好い所、勉学に絶好の散歩道と木陰に、その名も高い賢者たちを生み出し、あるいは迎え入れたのです。あそこには、プラトンが隠れ住んだアカデメイアのオリーブ園が見えますが、そこではアッティカの鳥が夏の間中こもった震え声で歌い、あそこでは、花咲き乱れるヒュメトゥスの丘が蜜蜂の忙しく働く羽音でしばしば人を思索に誘い、あそこでは、イリスゥスがさらさらと音を立てて流れている。次に壁の内には、古の賢者たちの学びの園が見えます。あそこには、大いなるアレクサンドロスを育て世界を征服させた師の学び舎、リュケイオンが」ジョン・ミルトン『楽園回復』(IV.235-255) 小貫山信夫訳 (キリスト新聞社 1980)。
マルチン・ヘンゲルは歴史の波に翻弄されながらもユダヤ人が自己同一性を堅固に維持したという見解に疑問を投げかけこう言う。「新約聖書に関係する歴史研究のためには、「ユダヤ教」と「ヘレニズム」との伝承史的な区別が自明の大前提の一つとなっている。「ユダヤ黙示思想」と「ヘレニズム神秘主義」、「ユダヤ的―ラビ的伝承」と「ヘレニズム的―オリエント的グノーシス」、「パレスチナ・ユダヤ教」と「ヘレニズム・ユダヤ教」・・の間の区別がなされる。ことに特定概念の研究は、通例、しばしば旧約聖書もしくはギリシャ古典にまで遡源されるこれらの二つの「伝統の系譜」のいずれかへの区分に終わっている。この不可避的な区分は、明らかに、イエス時代のパレスチナがすでにおよそ360年間も「ヘレニズム的」宗主権のもとにおかれ、またそれに結果する文化的影響のもとにあったという事実を余りにも容易に看過している」。(M・ヘンゲル『ユダヤ教とヘレニズム』長窪専三訳 16頁(日本基督教団出版局 1983)。下村寅太郎『ブルクハルトの世界』 406頁(岩波書店 1983)参照。
アレクサンドロス以降「360年」のあいだギリシャの政治的、文化的、知的影響化にあったという事実は忘れてはならない歴史的経緯である。エルサレムの神殿にはゼウス像が安置されていたと言う。そのなかでも旧約聖書に即して、ユダヤ人たちはメシア(油注がれた者=救い主)を求め続けていた、たとえ彼らはこの地上での隷属からの政治的解放者を待ち望んでいたとしても。
重要な問題はユダヤ教とキリスト教の関係である。これは歴史上の連続と断絶の関係においてある。連続と断絶双方ともイエス・キリストという特異な存在者の出現により特徴づけられる。旧約と新約、古い神の約束と新しい神の約束、その関係こそ解明されねばならない。パウロによれば、旧約において神の意志即ち「律法」が明確に知らされたのはモーセの十戒を介してである。パウロはこれを「業の律法」と呼び、新約において「イエス・キリストの信を介して」知らされた「信の律法」と判別される。もちろん、旧約においてもアブラハムのようにその信仰が神に嘉みされたつまり喜ばれた信の律法を満たす先駆的事例はあった。これら二つの神の意志、即ち二つの律法の関係についておいおい話していく。イエス・キリストが鍵となることを覚えておいてほしい。
3モーセの十戒
簡単にモーセの十戒について学ぶ。神はモーセに神の山(ホレブ)で十戒を示している40日のあいだに、麓で待つ民は待ちきれずに金の子牛を鋳た。モーセは下山するとこれを見て怒り、神の指で書かれた十戒を叩き壊し、神の怒りを知らせた。「ローマ書」における「神の怒り」やこれらの表現と同じ語彙をパウロが用いた七十人訳の出エジプトの一連の当該個所において見出すことができる。これらはすべてアロンのもとで金の子牛を鋳て偶像を拝んだ出エジプトの民の記事に符合し、神は偶像崇拝についての律法に即し怒りを示して、レビ人を介し一日に三千人を倒したことが報告されている。なお、業の律法の啓示以前においてまた異邦人においては良心(con-science共知)が業の律法のもとにあることを示す。
偶像崇拝において明らかにされているのは罪とは自己神化であることに他ならない。モーセの十戒即ち業の律法の第一戒において神はモーセに命じている。
「主はこれらのことばすべてを語り[モーセに]呼びかけた、わたしは汝をエジプトから奴隷の家から導き出した汝の神である。わたし以外に汝に他の神々があることはないであろう。汝は自らに偶像をまた天上にあるまた地上にあるそして水のうちにいる限りのいかなるものの似像をも造ることはないであろう、彼らに礼拝することも彼らに仕えることもないであろう。なぜならわたしは汝の神、嫉妬する神だからである、父祖たちの諸々の罪に対しわたしを憎む子孫たちに三、四代報いつつ、わたしを愛しわが戒めを守る者たちに対しその子孫たち千代に憐みを施しつつ」(Exod.20:1-7)。
罪とは、ヤハウェ神以外の神々を拝むこと、偶像を造ることである。偶像・アイドルの制作は人間はそれを拝することによって依存しつつ、実は偶像を自らの欲望なり心の平安に奉仕させている。それはまことの神を神としないことであるがゆえに、偶像を造るその自己が創造者としての神となる。そのような自己神化こそ第一戒は禁じている。神はモーセに信実であるがゆえにこそ、自ら以外に関心がむけられるとき、それを許容することはなく、それを記述すべく「嫉妬」という人間的な特徴づけが許容される。ここに業の律法の背後に信の律法が働いており神ご自身においては二つの律法の関係は揺るぎないことが分かる。ただユダヤ人に対する啓示の順序として業の律法が人々の心と歴史の進展にとって不可欠なものとして知らしめられている。
神に罪と看做される者はこの第一戒に見られるような自己神化を行う者のことであり、自己神化こそが罪である。「業の律法に基づくすべての肉は神の前で義とされないであろう[未来形]。なぜなら律法を介した[神による]罪の認識があるからである」(Rom.3:19-20)。業の律法はそのもとにおいて例えば偶像を拝むか、拝まないか、盗むか、盗まないか、偽証を言うか、偽証しないか、姦淫するか、姦淫しないか、貪るか貪らないかが問われているが、その二者択一の行為において、一方の正しい戒めを遵守るならば正しい人間と神に看做され、他方護らなければ罪人と看做される。歴史が示すところによれば、誰も十全にモーセ律法を遵守することができず、神に嘉みされないことを明らかにしている。つまり、ひとは業の律法のもとに生きるときは偶像を拝むことになると神に認識されている。
罪が神の前の概念であるということは、神との関係が開かれない限り、「肉」と呼ばれる自然的組成こそ自己の座であり自己を拝み自己に仕えることが自覚なしに遂行されることになる。神との関係が開かれない限り罪とは何であるかが各自において理解されないそのような概念である。このようなことを三十数回かけて学んでいきたい。
4不可視なものと信仰
人類は今ここで見ることのできない将来のこと、さらには神のように不可視な存在者に対しては信仰によって突破してきた。不可視なものの最たる方である神は「光あれ」の言葉により宇宙を創造された。そのみ言葉・ロゴスが受肉した。「彼は神の形姿にいましたが、神と等しくあることを堅持すべきものとは思はずにかえって僕の形姿を取りご自身を空しくされた。人間たちの似様性のうちに生まれ、そして[生物的な]型においてひととして見出されたが、この方は死に至るまで、十字架の死に至るまで従順となりご自身を低くせられた。それ故に神は彼を至高なるものに挙げられた」(Phil.2:6)。
イエスは山上でモーセ律法の純化により人々の二心の偽りを摘出し、道徳的次元を内側から破ることにより信仰に招いた。そこで彼は言葉の力のみにより道徳、社会、自然、天国と地獄一切を天の父の完全性に秩序づけ、彼はその教えに生きまた死んだ。彼の生涯はその言葉と働きの合致故に偽りなき権威を伴った。科学技術や衣食住であれ、「汝らの天の父は、これらのものがみな汝らに必要なことをご存知である。何よりもまず、神の国と神の義とを求めよ、そうすればこれらすべては汝らに加えて与えられるだろう」(Mat.6:33)。イエスはこう語り信仰に招く。人類の第一の課題は「天の父の子」となる信仰により不可視な神との正しい関係を作ることである。「信仰によって、モーセは王の怒りを恐れず、エジプトを去った、というのも見えない方を見ている者として忍耐したからである」(Heb.11:27)。「信に基づかないものごとはすべて罪である」(Rom.14:23)。神の意志として「信の律法」(神が信であるとき、信じるか裏切るか)はモーセの「業の律法」(貪ぼるか貪ぼらないか)より根源的である(Rom.3:19,27)。
救いそのものがイエスにおいて可視化された。不可視なものの信仰が可視的なものにより確認される。「信仰は望んでいることがらの確証であり、見られていないものごとの[不可視に留まることへの]反駁である。というのも信仰によって古への先人たちは[見える]証人とさせられたからである。われらは、神の語りかけにより[アブラハムら先人たちの]諸時代が統一させられていることを、信仰により観て取っており(pistei noūmen)、見られるものが現れないものども[神の語り]に基づくことを知るに至る」(Heb.11:1-2)。
人間のあらゆる肯定的、創造的営みの根源にこの信が位置づけられる。どれほど認知的に人格的に愚かで悪くても、そうであるからこそ「幼子」のように信じることはできる。最も困難な探求対象が最も容易な幼子の信のみを要求しているということは全知全能の神にふさわしい。われらは幼子のように信じる「神はおのれの独り子を賜うほどに世界を愛した」、と(John.3:17)。「希望の神が、汝ら聖霊の力能のなかで希望に満ち溢れるべく、信じることにおけるあらゆる喜びと平安で満たしたまうように」(Rom.15:13)。復活は「告白」(Rom.10:9)を伴う信によってのみ突破されうる掌握困難な神の力能の顕われであり、甦りを信じることができるということ、それが喜びである。甦りは再臨による宇宙の完成に向かう。そのエヴィデンスは信に伴い豊かなものとなっていく。